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#2 暴風に旦那は花びら

もう何体目かも分からない次元モンスターを斬り捨てたシランが、剣を鞘に納めた。
鋭く研がれた刃のようだったシランの視線が、鞘に剣を納めたとたんに緩くなる。

"ああ、疲れたわ。今日は何でこんなに多いんや?アイリス様、そっちは…"

額を拭いながら振り返ったシランは、何となく緊張しているようなアイリスの表情を見て尋ねた。

"どないしたん?見たくないもんでも見はったんか?"

その声に不安そうな表情でシランを見つめたアイリスは、首を振りながら視線を下ろした。

"いいえ。"

その瞬間、アイリスの横を風が通り過ぎた。
全身がピリピリする。風の動きにさえ敏感になっているような、過去にも覚えのある感覚に、アイリスはびくりと身体を固くした。

"あっ…!"

何かに殴られたように青ざめた顔で固まったアイリスの表情に、シランが戸惑いの色を見せる。

"な、なんや?身体の調子でも悪…"

"シロコが…"

彼女の一言に、シランも固まってしまった。
なんとか気を取り直してシランに向き合ったアイリスは、この上なく真剣な表情で言葉を続けた。

"消滅したようです。"

シランの表情に驚きが滲んだが、それはほんの一瞬で、すぐにまるで予想通りとでも言いたげな微笑みを浮かべた。

"やっぱり、俺がおらんでも上手くやったようやな。あいつらを信じて正解やったわ。"

アイリスは風が通り過ぎて行った方を、意味深長な目で見つめた。

冷たい風が通り過ぎた後には、物悲しい花の香りが残った。
その香りを感じ取ったその一瞬、アイリスの心眼に舞い散る花びらが映った。
赤い花びらは誰かの願いであり、悲しい涙であり、沈痛な血痕だった。
風に運ばれて不満を訴えるようにゆらゆらと揺れていた花びらたちが、風に乗って方々へ散っていった。

何もない虚空をぼうっと眺めるアイリスの様子に、シランが心配そうな目を向けた時、何かを決心したように彼女が振り返った。

"黒き大地へ行かなければなりません。"

アイリスの突然の言葉に、シランの顔には戸惑いと疑問が浮かんだ。

"は?デ・ロス帝国にあるっちゅう黒き大地に?突然、どないしたん?"

アイリスの視線は花びらが消えた虚空に向けられていた。
彼女の視線の遥か先に、デ・ロス帝国があるのだろう。
そこから感じる凄然とした光と、湧き上がる混乱の上で、花びらが舞っている。

"シロコが遺した思念がそこへ向かったのです。"

アイリスの表情にただ事ではないことを感じたシランも、緊張した面持ちで頷いた。

* * *

次元の嵐が起きている辺りで、アイリスと同様に舞い散る花びらを見つめる女性がいた。
風に舞う花びらを見つめる女性は、黒いローブをまとって微かにつぶやいた。

"これで時間が別の流れを辿ることになりますね…。"

黒いローブの女性の後ろには、割れた次元の亀裂が真っ黒い口を開いている。
その底なし地獄のような暗闇の中から、巨大な瞳が世界を見下ろしていた。
黒いローブの女性は、背後に感じる巨大な存在の威圧感を気にする様子も見せずに、言葉を続けた。

"何もかもがあなたの望むようにはならないと思いますよ。"

彼女の言葉に反応するように巨大な目が閉じ、割れていた次元の亀裂もスゥっと消えていった。
すでに変化の風はささやきを乗せて、全ての光と闇、そして次元と時間の中へと散った後だった。