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#1 分かり合えない心

亀裂が入り始めた壁を修復するのは困難だ。
一度入り始めた亀裂は瞬く間に壁全体へと拡がるが…愚か者たちは壁が壊れるまで亀裂を修復しようとはしない。
むしろ口を閉ざして見なかったことにしようとする。
柱を立てる基礎工事の時点で誤りがあったことを認めたくないからだ。
または、その亀裂に対する責任を負いたくないのかもしれない。
そうして壁が崩れ落ちて初めて、誰のせいなのかを論じ始めるのだ。

* * *

レミディア・バシリカ聖堂の門を開けてからは、テイダの歩みから迷いが消えた。
だから、他の大神官たちにも彼を引き留めることはできなかった。
もしかしたら、全ては予見された必然だったのかもしれない。
オズマとの黒い聖戦の後、その時期が少し早まっただけ…。
偽装者と使徒が存在する限り、教団内部の意見がまとまることはあり得ないだろう。

遠くから白銀の髪を持つ女性が、レミディア・バシリカ聖堂に向かっていた。
肩に掛けた白いマントを翻す彼女の気迫は、尋常でない威圧感を放っている。
聖堂を出たテイダもまた、本能的にその気迫を感じ取っていた。
気付かぬ訳がない。
幼い頃に彼を教え導いた師匠の気迫だ。

彼女はメイガ・ローゼンバッハと共に、偽装者を討伐した英雄であり、最も優れたインファイターの一人。

そしてルアルアと西部城砦の間にある通称「見捨てられた者のための聖堂」と呼ばれるレミディア・カンパネラの主教であり、精神的な支え。
クローチェ・グレイスだった。

壮絶なほどの荒波と歴史を乗り越えたにも関わらず、彼女は60歳近い年齢とは思えないほどに若く、美しかった。
時間が流れても30代の若さを保った外見と、程よく筋肉のある引き締まった身体が、彼女の年齢を分からなくしていたのだ。
だが、その瞳だけは長い歳月の経験と老練さを宿した濃い緑色に輝いている。

一時はテイダの憧れであり、恐れの対象でもあった存在が迫っているにも関わらず、テイダは歩みを止めなかった。
尊敬する師匠ではあるが、テイダとクローチェの信念はいつもぶつかり合っていたのだ。
神の摂理に反する存在は全て滅ぼすべきと考えるテイダとは違い、クローチェは見捨てられ、疎外された者たちをも受け止めて悔い改めさせ、更生させなければならないという考えだった。
また、クローチェは彼の信念を簡単に変えることはできないことを、彼の師匠として長い時間教えたことで思い知っていた。
だからこそ、今進もうとしているテイダの歩みを止められないことも、よく分かっていた。

黒いマントをまとった信念と、白いマントをまとった信念がすれ違う。
彼らがお互いにすれ違ったその一瞬に、クローチェが小さくつぶやいた。

"お前は過去に捕らわれすぎているのよ。"

その声は間違いなく彼の耳に届いていたが、応えは無かった。
ただ頑固に足を踏み出す音が一瞬止まり、また遠くなっていく。
クローチェも振り返りはしなかった。
そうして師匠と弟子はすれ違い互いに背を向けて、交わることのない道を遠ざかって行った。

* * *

堂々とした風采の女性がバシリカ聖堂の門を開いて中へ入ると、落ち着かない様子で右往左往していたオベリスの視線が彼女に留まった。
レミディア・カンパネラにいるべき主教のクローチェが堂々と入ってくる姿を目にして、オベリスは嬉しさと当惑の混じった声で叫んだ。

"クローチェ様!"

オベリスの瞳は、もどかしさと戸惑いそして不安に満ちていて、
まるで救世主のように登場したクローチェに助けを求めているようにも見えた。
何かを説明しようとしているようなオベリスの表情を目にしたクローチェは、面倒くさそうに手を挙げて静止する。

"話は聞いたわ。おじいさんは?"

メイガを探すクローチェの問いに、オベリスは暗い表情で視線を下げた。

"おじい様は祈祷室にいます。レミディア・カペラの件ももちろんですが…テイダの決断のこともあって…。"

心配そうな表情のオベリスとは違って、クローチェの顔には何の感情も現れない。
むしろ、吹っ切れたような表情にも見えた。

"いつかは起こることだったのよ。長年の膿が出ただけ。"

クローチェの言葉に、オベリスの表情が叱られた子供のように沈んだ。
そんなオベリスから視線を離したクローチェは、ステンドグラスから降り注ぐ光を見つめながら独り言を言うようにつぶやいた。

"今度はメイガが心を決める番よ。"

窓に映る光を追うようにレミディオスの石像を見つめるクローチェの眼には、決然とした意志と戦闘を控えた戦士の鋭さが宿っていた。

"黙ってやられるか、正面から戦うか。"