エピソード

いまアラド大陸で何が起きているのか…

エピソード19.狼

どこかから狼の吠え声が聞こえてくる。
不気味で悲しいその吠え声が夜の幕を揺さぶっていた。
皆が眠った時刻。
アルフライラ山ふもとの人間たちの駐屯地。
目標に近接した。

もう一度周辺を見渡す。
戦闘を控えた前哨基地の割には静かすぎる。
罠だろうか?いや、そんなはずない。
ニコラスが入手した情報は完璧だった。
目標は自分が標的にされていることすら気づいていないのだ。
ただ人間たちが疎かなだけだ。
警戒が緩いならむしろいいことではないか。
今は状況を疑う場合ではない。任務に集中するのだ。
ここの地理は完璧に熟知した。
音を消し、迅速に目標が眠っている幕舎に近づいた。

目標のペットが幕舎近くて眠っていた。静かにそこを通った。
いつものように気配は残してなかった。最後に覆面を縛り直す。
天幕を上げて中に入ると目標が見えてきた。
額から流れ落ちる一本の長い銀色の前髪が、息に合わせて動いている。
目覚める気配はない。
彼に向けてチャクラムを狙い定め、口を塞いで音を消し上半身に乗り上がる。

目標が目覚めた。
大きくなった目はまだ状況を把握していないようだ。
体を激しく動かし、大声を上げようとした彼の首から、細く血がにじみ出てきた。
このままもう少し力を加えれば任務は完了する。
目標除去完了。
しかし、そうするわけにはいかない。私にはまだやらなければならないことがあるからだ。

「私がなぜここに来たのか分かってるよな?
しかし、個人的にあなたに聞きたいことがある。
今からあなたのロを塞いでいる手を離すから、質問だけに答えろ。
ただし、少しでも大きな声を出すと……」

混乱している彼の瞳が激しく揺れた。
しばらくべッド反対側の窓を凝視していたが、彼はすぐ諦めたように首を縦に振った。
ゆっくり彼の口を塞いだ手を離した。それと同時に彼の声が聞こえた。

「元老院が送りましたね?」

私は答えの代わりにべッドから起き上がる彼の首に向けてチャクラムを突き立たせた。
彼はしばらく止まったが話を続けた。

「私を殺さないと分かっています。
もし、殺そうとしたならば私はとっくにこの世にいなかったでしょう。
シャドウダンサーに急所を狙われてまだ生きているのは、あなたが聞きたい情報はとても重要なもので、その情報を入手するまでは私は安全とのことでしょう。違いますか?」

特に言い返せる言葉が浮かばなかった。

「ふん、噂通り賢いな。さすがメティが信頼を寄せている者だ。
しかし安心するな。今生かしたからってこれからもそうする保障はないからな」
「いいえ。あなたは決して私を殺しません」

彼の表情から先ほどまでは見られなかった確信が溢れ出てきた。

「何を根拠にそんな憶測を?」
「憶測ではありません。あなたはおそらく…ミネット様ですよね?」

一瞬心臟が止まりそうだった。何か過ちでも犯したのか?それとも情報が漏れたのか?いや、情報が漏れたとしても私の名前まで知っているわけがない。
一体この者はなぜ……。

「なぜ私の名前を知っている?」
「その前にまずはこの武器をどかしてくれませんか?」

躊躇したが脅してももう仕方ないことが分かった。
ためらいながらチャクラムを離すと彼は胸の奥から一通の書信を取り出した。

「女王様の密書です。
近いうちに元老院の要員に扮したミネットという名の、とても特別なローグが私に接近するから、彼女に会ったらできる限りの支援をするようにとのご指示がありました。
まさか、このように私の首に刀を向けるとは知りませんでしたが」

そうか。そういうことか。やはり女王だったのか。
幼い頃からいつも私の心を見抜いていた彼女なら私がこの者に接近すると予め予想していたとしても全くおかしくない。

ちょっと待った。それにしてもこの者は顏も見てない状態で自分に刀を向けた暗殺者が私であることを正確に判別したのはどういうことだ?

「私が手紙の内容の者だとどうして分かった?
もし私が本当にあなたの命を狙ったシャドウダンサーだとしたら、どうするつもりだった?」

彼は妙に自信感が混ざった笑顏を浮かべて答えた。

「実は先ほどあなたが言ったことで分かりました」
「言ったこと?何を言った?」
「先ほど擦れるように言いましたよね?“メティ”と……」

あぁ!不意を突かれた気分だった。私がそんな過ちを……。

メイア女王様の幼い頃の愛称を知っているうえ、その名を躊躇なく呼べる者は数少ないです。それに一介の盗賊がそんなことできるわけがありません。
それで分かったのです。あなたが女王様が書信を通じて教えてくださった幼馴染のミネット様であることを」

万が一の場合には殺すつもりだった。
しかも正体がばれた以上、このまま彼を処理したからって何の問題にはならない。
しかし、その程度の過ちでそこまで分かるとは、この者は普通の者ではない。
このままもう少し生かしておいて見てみた方がダークエルフのためにも良いだろう

「いいでしょう。認めます。しかし、その前に謝らないと。
無礼な態度を許してください。探りを入れてみるつもりでしたが刀を向ける必要まではなかったのです。
私はミネット。元老院のために働いているシャドウダンサーであり、
一時期はローグだった盗賊です。
あなたに間きたい情報があって訪ねてきました」

彼は渋い表情で言った。

「一時期と言いましたか?
女王様から聞いた話では現在もダンブレイカーズに所属されていると……」

複雑な話だ。時には私自身も混乱する時があるくらい……。

「話してもあなたは理解できないかもしれません。
王室直属のローグ集団に所属していることは事実ですが、
私が動いている理由は女王のためでも元老院のためでもありません。
ただ私の意志によって実利を取って協力するだけ。
無意味な派閥争いには興味ありません。
私の行動は私が入手した情報を基に自ら判断します」

彼は理解したように頷いた。しばらく彼に考えを整理する時間を与えて、ついに私は聞きたかった質問を彼に投げた。

「さあ、今度はあなたが答える番です。単刀直入に聞きましょう。
ノイアフェラに広まった伝染病は本当に人間によるものですか?」

彼はしばらく間を置いた。

「私の話を信じますか?」

私は答えなかった。しかし、彼は気にしないとの深刻な顔で話を続けた。

「私が初めから人間の味方をしていると思われているかもしれないので聞いてみたわけですが、私もこのような重要な任務に先入観を持つほど愚か者ではありません。最大限客観的な立場で判断してみた結果を言いましょう。
伝染病は人間が広めたのではありません

そんなに驚く話ではなかった。私も汲み取っていたことだから。
しかし、ただ憶測だけでは狂気に近いくらい戦争を慫慂する元老院を説得することはできない。

「証拠は確保しましたか?
決定的な証拠がなければ元老院を阻止することはできないですよ」
「残念ながら確実な証拠はありません。
モーガン様の調査結果が出れば話は違ってきますが、現状は人間世界の動きを観察した報告書が私が持っている証拠の全てです」
「たったその程度でなせ速断ができます?」
「私を信じてください。今はこれしか話せません」

彼から固い意志が感じられた。一目で私の正体を把握できたことから、彼は慎重ながらも優れた判断力を持っているに違いない。
そんな彼が間違った判断を下す確率は低い。それにここまで確固たる口調で話しているからには間違いなく根拠を持っているに違いない。

しかし、そうは言え、彼の意志が元老院にまで通じるとは考えにくい。
私は最悪の状況を想定するしかなかった。

「もし…戦争が起きたら、あなたはダークエルフが受ける被害はどれくらいになると思います?」

彼の顔が曇った。

「考えたくもないですが……おそらく種族ごとなくなると言っても過言ではないでしょう」

やはり私と同じ考えだ。私もまた任務のために旅をする間、冒険者をはじめ、
人間たちを軽んずることは自殺行為と同じだと微かに感じていたのだ。

「そしたら冒険者たちを説得してダークエルフの味方になるように……」

「残念ながら可能性は薄いです。
例えー部を手懐けることに成功したとしても、被害が少し減っただけであって種族存亡の危機を解決できるわけではありません。
最善はやはり戦争が起きないことです」

これで確信した。そうだ、それが正しい道なのだ。

「十分な答えを得られました。ありがとうございます。
元老院側には任務失敗について適当に言っておきます。
しかし、その前に一言忠告しましょう。あなたの任務がダークエルフの未来にどれだけ重要なのかはあなたの方がよりよく分かっていると思います。
そして戦争を阻止しようとする限り、元老院はあなたの暗殺を締めないはずなのは、
また言うまでもないです。
しかし、それに備えての防備が手薄すぎるのです。
今日は運がよかったたけで、私ではない他のシャドウダンサーだとしたら、今、このように話をするなどはできなかったのでしょう」
「実はそれが……」

彼は片手を上げて言った。
彼の話がまだ終わってもいないのに、後ろから人の気配が感じられた。
それと同時に後頭部を強打される感覚に私は気を失ってしまった。
倒れながら、窓に人間の女が走ってくるのを見た。
最初、彼を脅かした時に彼がしばらく凝視した方向だった。

クロンター!何をそんなに時間をかけるの?
最初、私に待ってと目配せしたのはなぜ?」
「ちょっと、また何も考えず石ころから投げたのではないですか。
私が手を上げたのはもう姿を現してもいいとのことでこの方を攻撃してとの意味ではありません」
「外で隠れていたから何を話しているのか聞こえなかったけど、
とにかくこの女があなたを殺すために来たのは確かでしょう?
なのにそんな話す余裕など普通はないでしょう?」

「この方は私を暗殺するために来たわけではありません。
これは…困りましたね。
この方が目を覚ましたら何とお詫びを申し上げればいいのか」
「別に謝らなくてもいいですよ。私は平気です」

返事と共に私が柱から飛び降りてくると、人間の女とクロンターの目はまん丸になってしまった。
二人は床に倒れた私、いや、正確に言うと私にそっくりな木の人形と、彼らの前に立っている私を交互に見ては言葉を失ってしまったようだ。

「そんなに驚かないでください。
私がそれくらいの奇襲にやられると思いました?」
「これはまさか…」
「はい。クイノチ家で生まれたからこれくらいは朝飯前ですよ。
それよりこの方は?」

クロンターは気を落ち着かせて人間の女を紹介した。

「あ、失礼しました。この方は人間代表として紛争を平和的に解決するため、
私と戦略的に協力しているゲイルイラップスという方です。
双子の姉妹であるゲイル様とプリーズ様は、今日のようなことが起きるのではないかと心配して毎晩交代で私の救助合図に備えています。
いや、監視とも言えますか?」

クロンターが冗談交じりで話したがゲイルという人間の女は、
相変わらず驚いた顔で彼に聞き返した。

「おい、クロンター。さっきのあれって何?位相変化?この女は魔法使い?魔界人にしては黒すぎてデカイけど?」

説明をしようするクロンターより私の方が先に答えた。

「魔法ではありません。忍術です。しかし、安心しました、クロンター。
あなたを守ってくれる人が二人もいるとは。それに、実力もありそうだし……」
「守る?誰が?
これはまた聞き出すことがある人質を殺すわけにはいかないからやっているだけだから。
やりたくてやっているわけではないからな!
それにしても生意気だな。おい、ダークエルフか魔界人かは知らないが、私を相手に戦ってみるか?」
「止めてください、ゲイル様。
今は騒ぎを起こしてもお互いにとって良いことは何一つありません」

クロンターが制止すると人間の女は不満げな顏で攻撃姿勢を止めた。

「それよりミネット様。実は話があります。
先ほどは言えなかったのですが、女王様から送られた密書にはあなたに必ず伝えるようにという頼みも書かれていました」

指令ではなく頼みか…ふっ、さすが。
これだから女王の依頼には逆らうことができない。

「それは何ですか?」
「最近、女王様にアラド大陸全域で起こっている混乱について報告しています。
おそらく女王様は、今起こっている事態がダークエルフに迫った危機と何かしら関係があると判断したようです。
それでさらに多くの情報を収集しようとしておられます。
しかし、問題は現在のシステムで、養成できる要員の数に限界があるとのことです。
女王様はあなたに新規要員を訓練する任務を任せたいと思っておられます」

アラド大陸の混乱。
噂によるとそれは使徒と呼ばれる怪物たちと関係があるようだ。
未だに使徒が何なのか知らないが、そんな怪物たちが暴れ出すといつかダークエルフの未来にも悪影響を及ぼすに違いない。
使徒の正体と異変の原因についてもっと正確な情報を収集するためにはできるだけ多くの要員たちと知り合いになるのも悪くはないだろう。
断る理由はない。
しかし、こちらの考えを知られてはまずいのも事実だ。

「考えさせてください。しかし、まずはこの任務の失敗について元老院に報告する内容を考えなければなりません」

呪文を唱えると格好いい青年が目の前に現れた。

「言葉も出ません。実に驚きです。あれは死霊ニコラスではありませんか?」

私は肩をすくめて見せた。
死霊術を使う私を見ているクロンターの視線から敬意まで感じられた。
私とクロンターが嘘の報告について考えている間、
ゲイルは、一体今何が起きているのか必死に考えているようだった。
しばらくして簡単な報告内容を指示するとニコラスは礼儀正しく挨拶をして煙のように消えた。

「もう本当に帰ります。シャドウダンサーがこのように作戦地域に長くいると疑われるかもしれませんから。
先ほどの提案については心が決まったら私の方から秘密裏に連絡します」

話を終えてクロンターとゲイルの答えも間かす早速幕舎から出た。
走っている間、何日か前に元老院から伝達された指令をもう一度かみしめた。
最後の任務、クロンターを暗殺したら、人間たちの都市で元老院側の要員養成と情報収集に力を入れること。
ふっ、面白い。まさか両側から同じ任務を依頼されるとは……。

わざと慎重なふりをしたが私は自分が両側の提案を両方とも受け入れると分かっていた。
いや、もしかしたらこのようなチャンスを待っていたかもしれない。

今の混乱がなくなり、運良くダークエルフたちと人間たちとの戦争を避けることになったとしても女王派と元老院派の政争は絶えないだろう。
政争は内紛に繋がり、それによって大勢のダークエルフたちが血を流すことになるだろう。
そのような骨肉の争いたけは起きてはならない。
しかし、権力争いの中、盗みと喧嘩しかできない私のような一介の盗賊に果たして何ができるだろうか。

そうだ。どうせ両側の妥協が不可能であれば次善の策を選択するしかない。
ある片側の力が圧倒的に強くない限り、決して紛争は起きない。
現在の人間とダークエルフの関係のように……。
そのために今まで気が向かなかった二重スパイをしてきたのではないか。
しかし、一つ確かなことは一人の力でできることには限界があるとのことだ。
だから両側からの今回の提案を断るわけにはいかなかった。

今までやってきた通り、両勢力間の力のバランスを壊してはならない。
最善を尽くさなければならない。最善を尽くし、より多くのローグ、より多くの死霊術師、より多くのクノイチシャドウダンサーを養成しなければならない。
そしてそれが真のダークエルフの平和のための道であることに、何の疑いも抱いてはいけない。

「ああ…これからも大変になりそうだ」

夜明けの空気に触れられ、口元には寂しげな微笑みが滲んできた。
私の独り言に返事をしてくれているような狼の遠吠えが聞こえてきた。
孤独で悲しいその鳴き声は、私の後ろを永遠に追ってくるかもしれない。

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